『素パンマン』

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路地裏、私は突き飛ばされて、地面に崩れた。私の人生の意義と一緒に、吹き飛んだ積み木のように。
 立てない私を、そいつらは見捨てていった。
 その日から私は、将来の夢を失った。
「進学を目指してくれたのはいいが、思うように成績が上がらないな……」
 面談の席、担任は見れば分かることだけを言う。私はただいい加減に、相づち打って、その場を済ませた。

 昼休み。
 弁当はいらないと母に言っていた。かといって、食堂に行こうとは思わなかった。ただベンチがある校内の中庭で、下を向いていた。
 おなかすいた。この後サボろうかな。おなかも鳴った。
「これ、いる?」
 目の前、丸いパンが現れた。
「食べ損ねちゃって。よかったら食べてよ」
 丸いだけの、それ以外ないパンを、知らない男子が渡してきた。
 とりあえず、かぶりつく。
「……普通」
 でも、妙に買ったものの味じゃない。
「これ、手作り?」
「じゃ、ないけど……まずい?」
「ううん……ただなんか……その辺のパンよりパンっぽい」
「……そっか」
 もくもく、もくもく。
 とにかく、かぶりつく。ただただ、かぶりつく。
 すぐに、食べきった。
「……ありがとう」
「これからも、持ってこよっか」
「……どうして?」
「おなかなってたでしょ?」
「……」

 その日から、この「素パンマン」に昼食をたかることにした。
「今日のはなんか、開いてる……」
「食べてみてよ」
 もくもく、もくもく。
「バターが……」
「うん。バターにもできるんだってさ。オリーブオイルにもできるよ。あと、チーズとかチョコとかリンゴにクランベリー。ほら、これオーダーメイドだからさ」
「へぇ……」
 次の日、ためしにオリーブオイルでチーズのトッピングを頼んだら本当に持ってきた。
「オリーブオイルベースってこんな味するんだ。チーズも混じってるけど」
「違うもんでしょ?」
 頼めるパンには限りがあるものの、素パンマンは毎日パンを持ってきてくれた。私に食べさせてくれた。
 そんな素パンマンにたかるだけなのも罪悪感が出てきたので、宿題を教えようとした。成績の落ちている私の頭は役立たずだった。それどころか、もはや邪魔になるんじゃないかというぐらい彼の成績は伸びていった。
 でもいいや。仕方なく学校に行く理由にはなっている。いまや彼のパンと、彼との中身のない会話は、唯一の楽しみになっている。そしてうっかり自分のことをいくらかバラすまでには至っている。
「なぁ、進学する理由とかないの?」
 だから素パンマンからこのようなことも聞かれた。
「一回レベル落としたとかいってたでしょ? それにいつも中庭のベンチでぼーっとしてたし」
「うん……ない。なくなっちゃった。ミュージシャンになりたくて、ちょっと前までバンドやってた。こいつらとなら絶対いい音楽できるって思ってたのに、スカウト詐欺にだまされる程度だったから捨ててやった」
「バンドもそれっきりやめちゃったんだ」
「……うん」
「……そっか」
 嘘。
「……そっちはどうなの。一緒に勉強してたけど、成績、伸びてんじゃん。難しい学校受けるとかあるの?」
「まぁ一応ね。あそこの商業学部に」
 素パンマンが指さした方には進学者がたいてい知ることになる高偏差値大学。
「そんですっげぇ事業始めるんだ。ライバルもたくさんいるだろうし、色んなこと勉強しながらアイデア取り込んで——」
 そっか。こいつちゃんと理由あるんだ……。
 素パンマンの展望を聞いて、少し胸の奥が渦を巻いた。

 一通りパンの種類を網羅したころ、あてもなく公園で時間を潰していると、素パンマンが見えた。
 気になって近づいてみると、外でバイト代を渡されていた。
「いつも思うけど、これ全部パンに使うのかい? 例のオーダーメイドの」
 店の人はそういった。
「はい」
「いつもプレゼントされる人は喜ぶだろうね。でも、バイトもいいけど受験も頑張りなよ」
「もちろんです」
 あいつ……私のパン代全部ここで稼いでたんだ……。

「急に成績伸びたな。目標の学校、見つかったか?」
 担任はうれしそうな顔を私に覗かせる。
「まぁ……頑張りたいって思うきっかけがあったので」
「そうか。けどあんまり無理はするなよ。お前は爆発したかのように頑張った後、燃え尽きることあるみたいだからな」
 割と当たってる……見てるの、紙だけじゃなかったんだ。

「こういう問題、わかるようになったんだ」
「うん」
 素パンマンの学習範囲に、だんだんと追いつけるようになった。
「すげぇな」
「私も、ここ目指すから」
「……マジ?」
「うん」
 そうすれば、こいつと同じ目線で、こいつの夢を支えられる。今までの恩を、心ゆくまで返せる。失ったものを、取り戻してくれた。その感謝ができる。
 新しくできた、私の生きる意義。

 母に最近夜更けまで勉強漬けなのを心配された。目の周りが紫とか女子のしていい顔じゃないとボロクソに言ってきた。一言余計なんですけど。
 とりあえず今日も素パンマンにもらったパンをかじって、問題集にかじりつく。
 ……こりゃ太るか。

「なぁ……」
「……なに?」
「めっちゃクマが濃いんだけど」
 素パンマンにも言われた。相当濃いんだな。今にも肩を貸りそうな勢いでふらふらしてるし。
「今まで……音楽やるっつって、ロクに勉強してこなかったし……こんだけしないと、たぶん、追いつかないし……」
「……それなんだけどさ」
 おもむろに素パンマンがベンチから立ち上がったのを呆けて眺める。
「やっぱ……やっぱもう一回音楽やり直してみなよ」
 とんでもないことを言いやがった。思わず眠い目が一気に醒めた。
「なんで……どうして!?」
「実はさ、一度見たことあるんだよ。ライブ」
「え……?」
「そのときギター担いで必死に歌ってたお前、なんか、何もかもから解き放たれてた顔してた」
「……から何なの」
「前に言ってたじゃん、スカウト詐欺にだまされる程度のヤツらだから、仲間捨てたって。それならどうして自分までやめちゃうんだよ」
「……逆、だから」
「え?」
「ホントは逆だから!!」
 のどが、胸がその一回で全部痛くなるほどに叫んだ。
「ホントは!! みんながスカウトされたって言って! でも話聞いてると怪しくて! ネットとかで相談してそれ詐欺かもって言われたから!! まさかとは思ったけど、とりあえずついて行ってみて、軽くそいつらの前で演奏して、合格通知来てから所属費用だとか言ってカネほしがってきたから! いよいよおかしいってみんなに言って、それで喧嘩になって!!」
 痛くて体が震えようが、目の前が何も見えなくなろうが叫び続けた。
「私はみんなのために止めようとした!! みんながだまされて!! 人生壊してほしくないから止めたかった!! なのにみんな私を裏切り者だって!! プロ目指す気ないならいらないって!! そうじゃないのに!! そうじゃないのに……っ!!」
 息を切らした。肺を突き破るほど、胸を奥から全部焼き尽くすほど。
 痛い……いたい。くるしい。
「……ごめん」
 素パンマンがうつむいた目で謝ってきた。
「……でも」
 伏せた目でまだ言うことがあった。
「でも……音楽やってたお前、今みたいに我慢してなかった……苦しいのに耐えて、耐えて……耐えるあまり、ひどい顔を作ってなんかなかった」
「……」
「こっちが思ってるだけかもしれないけどさ……音楽ってお前の生きがいだったんじゃないの」
「……生きがい」
「大切な色んなもの捨ててまで、同じ道について行くことないよ……」
 素パンマンは、背を向けて去って行った。
 私は……また地面に崩れた。
 立てない私を……ヤツはもう、見守ってすらくれなくなった。

 帰りが遅くなり、かなり怒られた。
 話したくない。
 さっさと自分の部屋へ行き、体をベッドへと投げやる。
 参考書が増え、きちんと整理するようになった机と、整えられたその周りが、結局何も意味をなさなかったことを突きつけられたようで、ずいぶんと久しぶりの涙が出る。
 見てるといやになり、潤んだ目線からそれらを外すと、常に閉め切ったカーテン。
 隙間から黒い何かが見える。

 瞬間、涙がこぼれて、一気に引いた。
 ゆっくりとカーテンを開ける。暗闇より黒いそれを、積もったほこりも気にせず持ち上げ、横のファスナーをゆっくりと開ける。

 ……エレキギター。

 音楽をやめたと言っておきながら、今の今まで捨ててこなかったそれを見て、私は闇夜しかない空を見上げる。
 そしてゆっくりと、ほこりかぶったケースから取り出した……。

 面談の時、担任にはいやな顔をされた。「また振り出しに戻ったのか」とでも言いたそうに。
 違う。あきらめて、やけになって進路希望調査の紙に”ミュージシャン”なんて書いたんじゃない。
 あきらめないためなんだ。
 夢を、自分を、思い出したからなんだ。
 そう言ってやって、私は教室を後にした。

 そして昼休み、中庭のベンチに座って、その辺で買った総菜パンを2つ、袋から取り出した。
 少し考えた後、中の具を一つに混ぜて、オリジナルのパンにした。
 かぶりついて、口に放り込む。
 もくもく、もくもく。
 さっさと食べて、きれいにしたギターを担ぎ、ベンチから、学校から足早に離れていくことにした……。

 頑張れ、私。

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